ヒマの過ごし方

「アナザーラウンド」というデンマーク映画を観た。うだつの上がらない中年教師が、授業に身が入らず、生徒にもその親にも馬鹿にされるという現状を打破するため、仲間たちとの会食時に耳にした、とある仮説を実践する。その仮説とは「血中アルコール濃 度を0.05%に保てばむしろ心身ともに活性化する」といった類の眉唾ものの珍説で、胡散臭いとは知りつつもそれにすがり、こちらの予想通り道を踏み外す彼らの姿が可笑しくも哀しい。酩酊するというある種の逃避行為を、閉塞感を打開するため積極的に捉えるところがこの話の肝で、酒が持つ美醜、良し悪しを、若さに重ね合わせて描くあたりが巧い。

 

映画を観て思い出したのが、昔読んだ吉田健一の随筆だ。曰く、酒を飲むから我を忘れるのではなく、むしろ酒を飲むことで人は本来の姿に戻る。仕事をしている状態ではなく、酒を飲んでいる状態こそが自然なのだ、という流れからその短い随筆はこう締められる。

 

「理想は、酒ばかり飲んでいる身分になることで、次には、酒を飲まなくても飲んでいるのと同じ状態に達することである。」

 

まるで禅問答のような話だが、積極的に脱力するという姿勢において血中アルコール濃度0.05%の仮説と通じるものがある。それにしても、言って戻ってくるだけが目的の鉄道旅行を綴った内田百閒の「阿房列車」しかり、明治生まれの作家たちの頑迷な可笑しさは独特である。

 

吉田健一は『甘酸っぱい味』という著作の中で、同じ調子でカフェについても綴っている。日本のそれとは違い、フランスのカフェというものは何もしないでいるための場所だ。通りを行き交う人々を眺めているだけでも退屈しないし、腹が減ったら軽食をとることもできる。頼めば便箋やペンも持ってきてくれるし、電話も取り次いでくれるから、何の用も目的もなくとも一日そこで過ごすことができる。コーヒーはそこで過ごす無為な時間のための名目だという。これが日本だとそうはいかない。喫茶店は昼寝には適さず、映画館に入れば「映画を観てしまう」恐れがある、一時間の暇つぶしにホテルは不相応な額を取られてしまう。何もしないための場所というのが日本には存在しないというのだ。彼にとってコーヒーとは目的を持たず一日を過ごすためのチケットであり、それ以上の意味を持つものではない。カップに入った真っ黒なブラックホール。その味は一体どのようなものなのだろうか。

パートナーズブレンド
フランス人が無為な時間を過ごす場所にカフェを選んだのは、そこにコーヒーがあるからだ。その香りと味わいは気持ちを和ませ、潤してくれる。暇つぶしのパートナーに最適だ。「おいしいコーヒーをいつでも、いつまでも、お客様に」。そんな「小川珈琲」の想いを共有した、特につながりの深いブラジル、グアテマラ、エチオピアのパートナーたちと一緒に作り上げたこのコーヒーは、ブラウンシュガーのような甘さ、オレンジのような酸味、まろやかな口あたり。“いつものコーヒー”にちょうどいい。